市民が自分たちの声を取り戻す街へ。ー 東久留米市長選挙候補・ふるたに高子の挑戦

私が古谷(ふるたに)高子さんと初めて出会ったのは、「アスポート所沢」(一般社団法人彩の国こども・若者支援ネットワーク)で教育支援員として働いていた頃だった。同じ現場で、同じ子どもたちを見て、同じ課題に向き合った上司だった。

政治家として出会ったのではない。市長候補としてでもない。ここで見てきたのは、子どもにも保護者にも寄り添い、若い職員を守りながら、現場の声をまっすぐに拾い続ける人の姿そのものだった。

だからこそ、今回の市長選挙は、彼女にとって「政治の世界に飛び込む挑戦」ではない。これまで積み上げてきた草の根の市民活動の延長線上にある、自然な流れだと感じている。


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現場で見た“ふるたに高子”という人

「アスポート所沢」には、家の事情や学校との関係、心の不安など、様々な背景を抱えた子どもたちが通っていた。特に印象的だったのは、困っている保護者の話を徹底的に聞き、責めず、寄り添い、どんな小さな声でも拾い上げていた姿だ。

そしてもう一つ忘れられないのは、立場の弱い若手職員の意見を守り、代弁し、ときに組織と戦ってでも現場に立ってくれたこと。

「若い人の意見を尊重しよう」
「弱い立場の職員の声を無視させない」

その姿勢は一貫していて、私たち同僚の間でも信頼されていた。

わたしは教育支援員、事務局次長として現場と管理も担っていた。その立場から見ても、彼女は“現場で起きていることを理解し、必ず行動に移す人”だった。


政治と市民のあいだをつなぐ「翻訳者」として

今回の市長選挙において、彼女は「政治家を目指す」のではなく、“市民一人ひとりの声を代弁し、市政に届ける役割”を引き受けているように感じる。

実際、彼女の政策の根底には、行政の専門性と、市民の現場感覚の両方を知っている人にしか持てない視点がある。

驚くべきは、〈東久留米市の財政にはゆとりがある〉という“事実”をわかりやすい言葉で説明できることだ。難しい言葉ではなく、市民が「あれ?おかしくない?」と言いやすくなるように、政治の構造を“市民の言葉”に訳してくれる。

だからこそ、彼女が市政の中心に立ったとき、市民の声がこれまで以上にダイレクトに届くようになると思う。


「期待」ではなく、「安心」だと思った

政治家に向けられる言葉として“期待”はよく使われる。けれど、ふるたにさんに対して私が感じるのは期待よりもむしろ、「この人なら大丈夫だ」という安心感 だ。

どんな意見もあたたかく受け止め、必要なら立ち止まり、そして行動に移す。

現場で見てきたその姿勢が、市政の場にそのまま活かされるなら、東久留米はきっと「市民が自分たちの声を取り戻す街」になる。


おわりに

私は東久留米市民ではないので選挙権は持っていない。それでも、かつて同じ場所で働いた“仲間”として、彼女が市政に挑む理由も、仕事の姿勢も知っている。

だからこそ言える。

ふるたに高子さんの挑戦は、政治家の挑戦ではない。市民の声を市政に取り戻すための、必然の一歩だ。

※本記事は、取材にもとづく人物紹介・インタビュー記事であり、
特定の候補者・政党の支持や投票を依頼するものではありません。

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この記事を書いた人

たなかえりのアバター たなかえり ACSURE編集長

「信頼できる人に、ちゃんと出会える。そんなメディアを目指しています。」

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