4000人の命の声と向き合った日々――傷ついた私がSNS相談を始めた理由|#SNS相談01

「ごめん、救急車呼んで欲しい」
相談者からのメッセージに応えるうちに3日間ほど睡眠も食事も忘れ、ついに過労で倒れて救急搬送されてしまったのです。一人でも多くの命を救いたい――その思いだけで走り続けてきた私は、誰よりも「助けて」を言えない人間でした。

目次

自身が開設したSNS相談コミュニティで、4000人の若者に寄り添う。

ACSURE編集長である私は、2009年にSNS相談コミュニティ「Come on YOURS!」を開設し若者の悩みに寄り添う活動を始めました。数日間のうちに4000名が加入するコミュニティへと成長しました。

今でこそ、SNSを通じた心のケアは当たり前になりつつありますが、記録によれば、2017年の長野県での実証事業が“日本初”とされているようです。それよりもずっと前、私は一人で静かに世の中と戦っていました。

家庭と学校に居場所がなかった少女時代

活動の原点には自分自身の過去の痛みがあります。小学校高学年から、私は心が休まる場所が奪われました。学校でもいじめに遭い、友達にも先生にも家族にも本音を打ち明ける勇気はなく、いつも孤独と絶望を抱えていました。

それでも心のどこかで「誰かにわかってほしい」という淡い期待があったのを覚えています。

そんなとき救いだったのは、吹奏楽で演奏していた「ユーフォニアム」という楽器です。いじめられていたにも関わらず、毎日学校に行くのが楽しかったのはユーフォニアムがあったからです。

自分の弱い部分を話すのが苦手な私は、楽器や文章で表現する時が一番自分らしくいられました。家に帰れば、部屋の端っこで膝を抱えながらユーフォニアム奏者・外囿祥一郎さんの演奏を聴いていたものです。CDが擦り切れるまで。

「出会うことは学ぶこと」を胸に

大学生になると、社会教育で有名な恩師・片野親義先生と出会い、私の苦しみが少しずつ解けていきました。

その片野先生から頂いた言葉は「出会うことは学ぶこと」。最初はあまりしっくりきませんでしたが、人との出会い、経験との出会い、地域との出会い…全て学びに繋がるのだろうと思うようになりました。

実際、片野先生との出会いは私にとって転機となり、「自分を分かってくれる大人もいるんだ」と救われたのです。この体験は、後に私がSNSでの相談活動を始める上での心の支えとなりました。

SNSという居場所との出会い

時は流れ、インターネットとSNSが日常に溶け込む時代になりました。孤独を抱える若者にとって、SNSは現実から逃げ込める居場所でもありましたし、それは今も変わらないでしょう。

私はあるアーティストがSNSで若者を励ましている記事を目にして、「SNSという場所であれば、昔の自分のように助けを求められない子も声を上げられるかもしれない」と感じました。

電話や対面では怖くて言えない本音も、画面越しなら打ち明けやすいことがあります。本当であれば、「いのちの電話」のカウンセラーになりたいと思っていたのですが、まだその年齢には達しておらずSNSで展開しようと決めました。まるで、私自身も居場所を求めるかのように。

かつてお世話になった別の恩師にその活動を報告すると、「相談は顔を見て話すべきだ。SNSなんてけしからん」と否定的な言葉をかけられました。しかし、自分自身が誰にも頼れず苦しかった経験があるからこそ、見ず知らずでも手を差し伸べる人が必要だと私は思ったのです。

「それでも救える命があるはずだ」と信じ、心に決めて踏み出しました。

私が入り口に選んだのは「恋愛」や「性」といった話題です。十代の子たちが関心を持ち、かつ誰にも相談しにくいテーマでした。「好きな人ができたけどどうしたらいい?」「体のことで不安がある」といった何気ないやり取りから対話を始めました。

軽い雑談だと思っていた相談者も、私という存在に心を許すにつれ、「生きているのが辛い」と本音を漏らしてくれるようになりました。私は誰にも言えず苦しんでいる人がこんなにもいるのかと胸が痛みました。

一人じゃないと伝えたい

SNS上の見知らぬ私に心を開いてくれた相談者に対し、私は一人の人間として寄り添おうと決めました。下手にアドバイスするのではなく、相手の言葉をひたすら受け止め、「そんなにつらかったんだね」「大丈夫、一人じゃないよ」と声をかけました。

私自身の体験は赤裸々に明かしました。「私も昔いじめられて、苦しかった」と伝えると、相手は「自分だけじゃないんだ」とほっとした様子でした。面越しで表情は見えませんが、メッセージの文面から伝わる雰囲気でそれが感じ取れたのです。

相談を重ねる中で、「言葉には命を救う力がある」と実感する瞬間が幾度もありました。ある夜遅く「もう消えたい」と打ち明けられたとき、私は精一杯の思いを込めて励ましのメッセージを送りました。

それを読んだ相手から「少し心が軽くなった気がする。ありがとう」と返事が来たとき、私も思わず涙がこぼれました。見知らぬ私の言葉でも誰かの闇を照らせた――その事実は苦しかった私自身の心も救ってくれたのです。

続ける中での挫折と学び

もちろん、順風満帆ではありません。一対一でSNS相談を続けるうちに、相談希望の声は増え続けました。昼夜を問わず届くSOSに必死で応え続けた結果、私はとうとう心身の限界を迎えてしまいます。そして、気がついたら救急車の中にいたのです。

このままではいけないと感じた私は、信頼できる仲間に声をかけチームでの支援体制を作りました。自分一人で抱え込まず、複数人で交代しながら相談に応じる仕組みです。こうして心身に少しゆとりが生まれ、相談対応の質も上がっていきました。

ところが、新たな試練が待っていました。SNS上でいわゆる「荒らし」が起き、せっかく作った安心できる場が傷つけられてしまったのです。私の心は大きく折れ、再就職とともに活動が途絶えてしまいました。

してほしかったことを、していただけ。

コミュニティを閉鎖してからも、「あの時のえりさんの言葉があったから、受験を頑張れました。おかげで医学部に進学できました。」というお便りをいただくことが何度かありました。どれだけ報われた気持ちになったか、言葉では表せません。

過労で救急車で運ばれたこともありました。でも、どれだけ疲れていても、眠れなくても、私はただ、“してほしかったことを、していただけ”なんです。

自分がつらかった時に、もし誰かがいてくれたらと願っていたことを、そのまま誰かに届けていたような時間でした。もしかしたら、消えてしまっていたかもしれない命が、ほんの一言で、また生きる方向へ動き出したのだとしたら。それは、私が届けたものではなくて、「その子が言葉を受け取ろうとしてくれた」からこそだと思っています。

誰かの命がまた“輝き始めるきっかけ”になれたなら、 その姿こそが、今の私の生きる励みです。

今、あなたがつらいと感じていたら

あの頃の私のように、ひとりで悩んでいる誰かが、今このページを開いてくれていたとしたら──。

少しでも、心が軽くなる窓口に出会えますように。支援を「使っていいんだよ」と、そっと伝える気持ちで、ここにリンクを置いておきます。


全国の自殺防止・こころの健康相談窓口


誰かに頼るのは、弱さじゃない。
あなたがここにたどり着いたことが、もう“強さ”です。


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この記事を書いた人

たなかえりのアバター たなかえり ACSURE編集長

「信頼できる人に、ちゃんと出会える。そんなメディアを目指しています。」

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