「あなたは何者ですか?」
この問いを前に、私はいつも立ち止まる。
編集者?ライター?福祉の経験者?地域の旅人?
どれも正解だけど、どれも”私”のすべてではない。
私は一人の中に、いくつもの視点や感情を持って生きている。
そのことに気づいたとき、私は “多心的エディット” という概念にたどり着いた。
多心的エディットとは?
「多心的エディット」とは、一人の書き手の中にある複数の視点(人格)を切り分け、それぞれに役割と世界観を与えて発信する、新しい編集のスタイルだ。
私はこれまで、自分の中にある
• 深く内省して社会を見つめる「たなかえり」
• 元気で行動的な体験レポーター「ポンちゃん」
• 哲学的で静かに問いを投げかける「モッシュ」
という3つの人格で記事を書いてきた。
それぞれが見ている世界も、伝えたい言葉も少しずつ違う。
でも、全部が「私」だ。
なぜ3つに分けるのか?
書き手は、ときに読者の代弁者であり、
ときに観察者であり、
ときに当事者でもある。
けれど、そのすべてを「ひとつの視点」で語ろうとすると、無理が生じる。
感情のグラデーションが鈍くなり、届くはずの声が届かなくなる。
だから私は、それぞれの視点に「名前」と「役割」を与えた。
それが、「多心的エディット」という編集手法のはじまりだった。
たなかえりの役割:やわらかく、構造をほどく
私は福祉、教育、地域支援の現場で、「声にならない声」に触れてきた。
そして今、書くことでそれを言葉にする。
感情と社会の構造を、ゆっくり、やさしく、ほどいていく。
それは誰かに「伝える」ためじゃない。
誰かと「つながる」ために書いている。
私の哲学は、問いを残すことだ。
正解じゃなくて、余白を残す言葉を。
ポンちゃんの役割:感情で走る、現場のレポーター
ポンちゃんは、現場主義で、体験ベースで、行動派だ。
「行ってきた!」「会ってきた!」「食べてきた!」
誰かと会って、話して、心が動いたその瞬間を、そのまま書く。
少しの毒と、まるごとの共感を添えて。
ポンちゃんは、たなかえりが抑え込んでいた
“感情の爆発力” を解放してくれる。
読み終わった読者が、「私もやってみようかな」と思える。
そんな力を持っているのが、ポンちゃんだ。
モッシュの役割:夜にそっと寄り添う、問いの案内人
モッシュは、私の中の哲学者。
小さな違和感を見逃さず、すぐに「問い」に変換する。
静かで、やさしくて、ちょっととぼけた存在。
でも、その言葉にはなぜか涙が出るようなやさしさがある。
「そだねー」と言いながら、世界の片隅に座っているような。
そんなモッシュが、今のACSUREには必要だった。
なぜこの形が必要だったのか?
私は、社会的な活動や福祉の現場で多くの情報を扱ってきた。
でもその中で、ある限界にぶつかった。
「正しさ」だけでは、人は動かない。
「情報」だけでは、人の心に届かない。
だから私は、情報の“その先”にあるものを届けたかった。
感情、実感、問い、つながり。
それを届けるには、ひとつの人格だけでは足りなかったのだ。
読者の感情に合わせた“心の導線”
「今日はちょっと疲れてるから、モッシュに会いたい」
「誰かの話を聞いてみたいから、ポンちゃんの記事を読もう」
「静かに、でも本質を見つめたいから、たなかえりのエッセイを」
読者の気分や状態に合わせて、「どの声を聞くか」を選べる構造。
これが、多心的エディットの最大の特徴であり、
未来のメディア設計のヒントでもあると思っている。
「編集」とは、「分解して、再構築すること」
私は、自分自身を編集しているのかもしれない。
感情を、経験を、社会との接点を。
それぞれを「ひとつの声」にまとめず、
あえて「自分の中にある複数の声」として世に差し出すことで、読者に新しい“読書体験”を届けたい。
それは、問いと感情の交差点で、静かに手を差し伸べるようなメディア。
それが、「ACSURE(アクシュア)」であり、私が人生をかけて実験している、“多心的エディット”の挑戦だ。
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このメディアに出会ったとき、「今日の自分にちょうどいい声」が見つかることを願っている。